12月のおっさんのひとりごと


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<2017ねん12がつ31にち> 大晦日!



 別府鉄道・国鉄との連絡口である野口駅で一休みする、キハ101号気動車。左側の線路
が、国鉄高砂線です。2本の線路に挟まれた土盛りが、野口駅のホームになります。改札は構
内踏切を渡って別府鉄道側にあったんじゃないか、と覚えています(もちろん無人でしたが)。
1983年撮影。


<2017ねん12がつ28にち>



 岩手県北バスの松川温泉停留所。向こうからバスがやって来ます。道路は未舗装です・・・っ
てわけではなく、バスはここで折り返すので、脇道で方向転換も兼ねて小休止中です。さすが
に平成の時代に、幹線道路が未舗装、なんてことはありませんよね。1994年撮影。


<2017ねん12がつ26にち>



 木曽の山中、阿寺渓谷に沿って敷設されていた、阿寺森林鉄道の鉄橋跡。立派なトラス鉄
橋が架けられたまま、となっています。森林鉄道の跡地を利用して遊歩道の整備がなされたよ
うですが、その後の整備が行なわれなかったのか、現在ではほぼ廃道と化しています。写真の
頃はまだ遊歩道が存在しましたが、橋の上は欄干もなくてちょっと危険な感じがしました。
1994年撮影。


<2017ねん12がつ25にち>



 蒲原鉄道廃線跡、狭口駅跡。ホームの石積みの上には何やら怪しいプレハブ小屋が、軌道
の跡にはゴミが山積みになっていました。知った人間でなければ、見過ごしてしまいそうです。
今はもっと変わり果てているのでしょうか。1997年撮影。


<2017ねん12がつ24か>



 鹿児島交通廃線跡・南吹上浜駅から少し伊作寄りの切通しの線路跡です。左の坂道を下っ
て来た先に小さな踏切があって、鉄道現役の頃はそこで何枚か写真を撮りました。この写真の
頃からでももう17年も経っているので、今では変わり果てているのでしょうか。2000年撮影。


<2017ねん12がつ23にち> 天皇誕生日



 クリスマスも近いってことで、神戸の「ルミナリエ」の写真など。東遊園地で撮ったものでしょう
か。記憶にございません。写真の頃はまだそれほど観光客は多くなく、「鎮魂と復興」という願
いが強く感じられました。経路は一方通行(さくら銀行(当時)本店前から東遊園地に向かっ
て、観客は歩き通すわけですが、途中の交差点なんかからも合流する人がかなりの数見うけ
られました。1997年撮影。


<2017ねん12がつ22にち>



 北海道は道央にある、三国峠よりの眺め。上士幌方面を望んでいます。見渡す限りの原生
林で、およそ人が住んでいるような痕跡は見当たりません。国鉄の士幌線はこの峠を越えて上
川を目指していたと聞きますが、よくもまあこんなところを通す気になったものだな、と感心して
しまいます。2004年撮影。


<2017ねん12がつ21にち>



 北海道は積丹の、雷電温泉「ホテル観光かとう」。こじんまりとした旅館で、浴室からの日本
海の眺めは格別でした。露天風呂はムリヤリ作った感がすごくて、2人ほど入ればいっぱいな
湯舟でした(眺めはいい、というか、内風呂とほとんど一緒)。今は廃業して廃墟と化しているみ
たいです。2002年撮影。


<2017ねん12がつ20か>



 近鉄北勢線麻生田〜上笠田間を走る列車から臨む、鈴鹿の山々。列車最後尾からの撮影
です。この頃は運転席の後ろぐらいまで座席が付いていたので、こうやって撮影ができたので
す。この辺りの景色は、今もほとんど変わっていません。また乗りに行きたくなっちゃっいまし
た。2003年撮影。


<2017ねん12がつ19にち>



 東北は宮城の山中、栗駒五湯の一つ、湯浜温泉。対岸の国道から見下ろしています。こうし
てみると近いですが、車道がないので国道わきの駐車スペースから徒歩で30分ほどかけて向
かいます。宿で使う日用品などは、索道で運ぶそうです。岩手・宮城内陸地震によってこの写
真を撮っている国道が通行不能に陥り一時はどうなるかと心配でしたが、2010年には回復し
ました。1993年撮影。


<2017ねん12がつ18にち>



 国鉄青函連絡船の甲板に積まれたバイクや乗用車。フェリーではありませんが、連絡船でも
自動車の航送を行っていました。上りの八甲田丸だったと覚えていますが、北海道を堪能して
帰途についた車両たちと推測されます。1986年撮影。


<2017ねん12がつ17にち>



 国鉄根室本線の最果ての駅、根室駅。駅正面に掲げられたひらがなの駅名表記は、どこか
独特な書体で、学生闘争時代の学内に掲出された看板を思い起こさせます。駅自体は町から
やや外れた高台にあり、翌朝の始発列車に乗るおっさんは坂下のホテルから、つるっつるの
坂道を必死に上った思い出があります。1985年撮影。


<2017ねん12がつ16にち>



 北海道は道東の、釧路湿原。ゆったりと流れる河川が蛇行を繰り返し、悠久の時間を感じさ
せます。JR北海道の釧網本線はこの写真の足元辺りの場所、湿地を突っ切るように走ってい
ます。四季を通じて楽しめます。1992年撮影。


<2017ねん12がつ15にち>



 栗原電鉄元の細倉駅付近を走り来る、M18 2号電車。この時にはもう「細倉マインパーク
前」駅が開業していて、細倉駅は廃止されていました。貨物輸送もなくなっていて、ちょっと広い
構内は寂しげに感じられました。1993年撮影。


<2017ねん12がつ13にち>



 近鉄養老線西大垣区で休む、モ5806号電車。元をただせば大阪鉄道(のちの南大阪線)
デイ1形で、2度にわたる車体更新で面影は完全に失われてしまいました。南大阪線の近代化
が進む中、養老線に移って余生を過ごしていました。1974年撮影。


<2017ねん12がつ12にち>



 国鉄東海道本線大阪駅に到着した、EF58牽引の特急「日本海」。山陽新幹線博多開業間
近のこととて、ホームにはファン諸氏の姿が多く見られます。このころはまだ、鉄道に活気があ
りました。1975年撮影。


<2017ねん12がつ11にち>




 鹿児島交通吹上浜駅の今昔。上写真・2000年撮影、下写真・1983年撮影。廃止後は路
線跡がサイクリングロードに整備されましたが、吹上浜〜薩摩湖間のサイクリングロードは大
きく海寄りに湾曲していて、往時の路線敷きを経由してはいません(そもそもサイクリングロー
ド自体が薩摩湖の運動公園で終着しているようです)。下写真の列車は、吹上浜の防砂林の
中の、なかば砂に埋もれた軌道をゆっくりと走って吹上浜駅に到着しました。駅近くにはソテツ
なども自生し、南国ムードのあふれるだったと記憶します。


<2017ねん12がつ9か>



 国鉄宇高連絡船、宇野駅の案内看板。昔は、海路を経ることなく四国と往来することはでき
ませんでした。国鉄は宇高連絡船を通じて貨客を捌いていましたが、瀬戸大橋開通によってそ
の任を終え、1988年に廃止となりました。戦中・戦後の多客時には集中する貨客をさばきき
れず、補助航路として仁堀航路を開設しました(1982年に廃止しました)。1988年撮影。


<2017ねん12がつ8か>



 近鉄南大阪線古市駅で、増結のため所定位置で定期列車を待つモ6800系の6813号。ホ
ームには連結待ちで扉が閉められたために閉め出されてしまった乗客たちが、列車が到着(し
て増結作業が完了し、再びドアが開く)するのを待ち構えています。今でも増結作業は多々行
われているので、さほど物珍しい光景ではありませんけど。1974年撮影。


<2017ねん12がつ7か>



 国鉄宗谷本線音威子府駅の構内で、入れ替え作業中のキハ22 2連の列車。あちこちウロ
ウロしながらこのホームにやって来て、旭川行きの普通列車となります。かつては宗谷地方に
至る要衝として栄えましたが、鉄道の斜陽化はこの頃から進んでいて、広大な構内が寂しく感
じられます。1986年撮影。


<2017ねん12がつ5か>



 国鉄名寄本線列車の車内の様子。この列車には中湧別から乗り込んで、すぐに撮影した覚
えがあります。列車は名寄行きで、おっさんは興部駅まで乗車し、興浜南線に乗り換えました。
紋別駅辺りまではそこそこの乗客がおりましたが(写真の状態ですけど)、渚滑線分岐の粗忽
駅を過ぎた頃からほぼ貸切状態、でした。1985年撮影。


<2017ねん12がつ4か>



 国鉄釧網本線を走る、急行「しれとこ」の車内。「網走」と書かれた行先標が車内に掲げられ
ています。急行「しれとこ」は標津線に直通する編成が附属している場合が多く(標津線内は普
通列車)、そのため列車内に行先がわかるような表示がなされていたんだと思います。趣味者
には<ぶら下がっているキハ22が標津行きだ>とわかってはいたと思いますが。それにして
も真冬だというのに扇風機がぶら下がったままというのも、すさまじいです(スイッチを押してみ
ましたが、さすがに回らなかったです)。1985年撮影。


<2017ねん12がつ3か>


 ディスカバー・ジャパン 八幡平駅のスタンプ。「ディスカバー・ジャパン」は1970年に開催さ
れた「日本万国博覧会」終了後に始まったキャンペーンで、国鉄の1,400の駅にスタンプが設置
されました。時がたっているのと、「一枚の切符から」「いい日旅立ち」「エキゾチック・ジャパン」
などでもスタンプ設置駅が増大していったため、ディスカバー・ジャパンのスタンプはほぼ見ら
れなくなってしまいました。今でも置いているところは、そうはないと思います。1994年押印。


<2017ねん12がつ2か>



 国鉄神岡線の終着駅、神岡駅の駅名標。神岡鉱山から搬出される貨物に頼った営業で、人
員輸送が二の次になっていたのは否めません。その貨物輸送もトラックに取って代わられ、廃
線となってしまいました。国鉄時代の、住所の書かれた駅名標が、懐かしいです。
1985年撮影。


<2017ねん12がつ1たち>



 北海道は石田温泉の、海岸の露天風呂。大層立派な防波堤防の海側にこじんまりと存在し
ています。地元の人たちの社交場みたいな感じだと思いますが、昼間だとほとんど人がいませ
んでした。本来海岸の露天風呂といえば眺望が期待できるのですが、海側には波除のコンク
リート壁が立ちはだかって眺めはありません。唯一上だけが抜けています。1993年撮影。