<2024ねん4がつ20か>
JR東日本花輪線・八幡平駅。八幡平観光の玄関口と思いきや、盛岡からやってくる路線バ
スは駅前には寄らず、ちょっと離れた国道沿いにバス停がありました。おっさんが最初に花輪 線に乗車したのは1982年、この頃はまだ急行が走っていて、それに乗車しました。写真の頃 にはもう急行はなくなっていて、鈍行列車(キハ52系だったか?)に乗って大館まで移動しまし た。1994年撮影。
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おっさんの店付近を走り去る、「さくらライナー」新旧8連の朝の特急。朝の通勤ラッシュの時
間帯は線路の上も込み合うことが多く、8時過ぎに通過するこの特急もノロノロ運転が多かった 気がします。2編成とも更新されてからはデラックスシートの評判が悪く(通常の特急料金とは 別にデラックスシートの料金が必要なためレギュラーシート座席数が減って立ち客が増えた)、 7時過ぎの8連特急にあてがわれるようになりました。2011年撮影。
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北海道は道東の、野付半島の先端・竜神崎。野付半島と陸地の間には「トドワラ」「ナラワラ」
と野付湾があり、夏場などはそれなりに観光客が集まります。冬は辺りすべてに雪が積もり、 遊歩道も海もわからない状態になってしまいます。そんな感じなのに「冬のトドワラ号」なるバス が走っていて、わずかな観光客を乗せて1日1往復していました。下写真は冬のトドワラ。
上写真1992年撮影、下写真1985年撮影。
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すっかりと稲刈りが終わった田んぼの中を走る、蒲原鉄道モハ61号電車。夕暮れが迫っ
て、あたりは赤く染まってきています。撮影するおっさんの背後には広大な田んぼがひろがって いて、さすが米どころと感心することしきりです。撮影は1984年、もう40年も経っているので すね。
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奥羽本線峠駅。スイッチバックが廃止され標準機に改軌されてしばらくたった頃の様子。この
頃ではまだ旧駅舎は機能はしていませんが使用はされており、スノーシェード内の駅ホームで 降りた利用者の中には構内通路を歩いてここから退出する人もいました。これとは別に、駅の 裏手の道路にすぐ出られる出口もあり、名物の「力餅」を発売している茶屋さんにもここからす ぐに行けます。滑川温泉や姥湯温泉の送迎バスはここから乗り継いでいました。おっさんも「力 餅」買って宿で食べましたが、量が多くてしばらくは持ち歩くことになりました。1997年撮影。
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北海道の長万部近くにあった二股ラヂウム温泉の、ドーム状建物の跡。ここには世界最大
級の天然の石灰華ドームがあり、それになぞらえて建物の形状をドーム状にしたのでしょう。 温泉の浴槽も、トーチカのようなドームに覆われています。宿の方はいたって普通な湯治場然 としていて、宿泊料金も格安、自炊はできなかったけれど食事の有り無しも選べたんじゃなか ったか、と覚えています。
10年ほどしてから再訪したところ、経営者が変わって(都内のサラ金業者だったか?)前の
形が思い出せないほどの改造を受け、行く気をなくしました。後年には(温泉が)効く効く詐欺を やらかしたんじゃなかったっけ(温泉の効能がなかったら宿泊料金全額返済とかなんとか。む ろん一定期間滞在しなくてはなりませんが)。今はどうなっているのでしょうか。1993年撮影。 |